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第54話 静かな子は、弱っている人にやさしくされると、もう戻れない

last update publish date: 2026-09-28 14:42:51

 倉科紬希は、昔から「誰かを助けたい」と思うこと自体は、そこまで珍しいことではなかった。

 クラスでプリントを落とした子がいたら拾うし、

 先生が荷物を持っていたら扉を押さえるし、

 図書室で困っている一年生がいたら棚まで案内する。

 それは別に、特別やさしいからではない。

 見えてしまったものを、そのままにはしづらいだけだ。

 自分が少し動けば済むことなら、その方が自然だと思っている。

 でも、最近の“助けたい”は少しだけ種類が違う。

 見えてしまったから動く、ではない。

 その人がしんどそうだと、自分の方まで少し苦しくなる。

 だから何かしたくなる。

 その違いに、紬希はもうかなり気づいていた。

 そして、その違いが一番はっきり出る相手が、久瀬湊人だった。

     ◇

 月曜の昼休み。

 窓際の一角で、紬希は
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     倉科紬希は、昔から「誰かを助けたい」と思うこと自体は、そこまで珍しいことではなかった。 クラスでプリントを落とした子がいたら拾うし、 先生が荷物を持っていたら扉を押さえるし、 図書室で困っている一年生がいたら棚まで案内する。 それは別に、特別やさしいからではない。 見えてしまったものを、そのままにはしづらいだけだ。 自分が少し動けば済むことなら、その方が自然だと思っている。 でも、最近の“助けたい”は少しだけ種類が違う。 見えてしまったから動く、ではない。 その人がしんどそうだと、自分の方まで少し苦しくなる。 だから何かしたくなる。 その違いに、紬希はもうかなり気づいていた。 そして、その違いが一番はっきり出る相手が、久瀬湊人だった。     ◇ 月曜の昼休み。 窓際の一角で、紬希は自分の手の中にある小さなペットボトルを見つめていた。 冷たいスポーツドリンク。 購買の横の自販機で、ほとんど迷わず買ったものだ。 本当は、自分用でもなんでもない。 最初から、あの人に渡すつもりで買った。 朝から顔色が少し違っていた。 文化祭のあとや、打ち上げを逃した直後とも少し違う、もっと深いところの疲れ。 授業は受けている。 受けているのに、反応の奥行きが薄い。 言葉を返すたび、ほんの半拍遅れる。 そして何より、無理に“普通に見える顔”を作ろうとして、かえって削れて見える。 ああいう顔を見ると、だめだ。 放っておけない。 けれど、だからといって何でもいいわけではない。 大げさに心配しても、この人は困る。 「休んだ方がいい」と言っても、たぶん苦笑して終わる。 じゃあ、何なら受け取ってもらえるだろうと考えた時、一番静

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    御門朱莉は、人が無理をしている時の笑い方があまり好きではない。 正確には、嫌いというより見ていて落ち着かない。 本当に余裕がある時の笑いは、もっと軽い。 言葉の端が自然にほどけて、こちらまで力を抜かせる。 でも、無理をしている時の笑いは違う。 形だけは笑っていても、どこか一段奥の疲れが消えない。 しかも、そういう笑いをする人間ほど、自分ではうまく隠せているつもりだったりするから厄介だ。 だから月曜の昼過ぎ、校舎の渡り廊下から二年三組の窓際を見た瞬間、朱莉は小さく眉を動かした。「……ひどいわね」 久瀬湊人が、笑っていたからだ。 いや、笑っているというより、周囲へ合わせて少しだけ口元を緩めている。 すばるが何か言い、日野が笑い、真白が刺し、紬希が控えめにやわらげる。いつもの窓際の流れ。その中へ、久瀬もちゃんと混ざろうとしている。 でも、削れている。 文化祭のあとや、打ち上げ不参加の翌日ともまた違う。 土曜の家側の用件でごっそり何かを持っていかれたあと、それでも学校へ来て、いつもの位置へ座って、いつもの空気へ合わせようとしている人間の顔だ。 それが、朱莉には妙に気に障った。 なぜそこまでして来るのか。 家側の事情も、学校の外の面倒も、どう見ても軽くないのに。 少し休むとか、距離を置くとか、もっと合理的な選択肢はあるはずだ。 それでも来る。 しかも、ただ来るだけでなく、あの窓際の空気へ混ざろうとする。 その理由が、朱莉には少しずつ見え始めていた。     ◇ 放課後、生徒会室へ向かう途中で、朱莉はちょうどよく久瀬を見つけた。 廊下の端。 人気の少ない窓際。

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    月曜の朝、久瀬湊人は目覚ましが鳴るより少し早く目を覚ました。 睡眠時間が足りなかったわけではない。 けれど、ちゃんと眠れた感じもしない。 土曜の午後、家側の用件。 そこで使う名前と立ち方と声。 日曜の夜にはAstraLink側の確認と、遅れてきた調整連絡。 そのどちらにも“いつもの顔”で応じたあと、部屋に一人で戻ると、今度は窓際のグループメッセージが目に入る。 金曜の打ち上げの写真。 日野の笑っている顔。 すばるの妙に楽しそうなピース。 真白の、笑っていないようで少しだけ笑っている横顔。 紬希の、やわらかく目を細めた表情。 そこに自分はいない。 それだけで、思っていたより深く削られた。「……行きたかったな」 朝の静かな部屋で漏れた独り言は、思っていたより素直だった。 来られなかったことを後悔している。 しかもかなり本気で。 少し前の自分なら、ここまでにはならなかった。 学校の外にある事情の方が重いと、もっと上手く割り切れたはずだ。 でも今は違う。 学校へ行きたい。 あの窓際へ普通に座りたい。 その気持ちが、土曜の“向こう側の顔”をやったあとほど、逆にはっきりしてしまう。 問題は、そのしわ寄せが顔に出ることだった。 鏡を見る。 顔色はそこまで悪くない。 でも、目の奥の疲れは隠しきれていない。 輪郭が少しだけ硬い。 それを整えようとして、逆に少しだけ力が入る。「……だめだな」 ごまかそうとするほど変になる。 それは最近、あの窓際の人たちに何度も指摘されてきたことだった。     ◇

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    打ち上げの翌朝、教室の空気は少しだけ不思議だった。 文化祭という大きな山を越え、 その打ち上げという“ちゃんと終わった感”まで一応は済ませて、 普通なら今日は、もっとすっきりしていていいはずだった。 実際、クラス全体で見ればそんな感じではある。 少し眠そうで、少しだるそうで、でもどこか満足げ。 昨日の写真を見せ合う声。 誰が食べすぎたとか、誰が最後までうるさかったとか、そういう軽い笑い。 けれど窓際の一角だけは、そこにもう一枚薄い感情の膜がかかっていた。 理由はたぶん、昨夜の短いメッセージだ。 『行けず、すみませんでした。本当に残念でした』 たったそれだけ。 でも、その短さが妙に残る。 来なかった。 その事実はもうどうしようもない。 なのに、来なかったことそのものより、そのあとで届いた短い言葉の方が、みんなの胸に少し深く刺さっていた。     ◇ 鳴海すばるは、自分が昨夜あのメッセージを三回は読み返したことを、誰にも言うつもりはなかった。 一回目は、普通に読む。 二回目は、“本当に残念でした”のところで止まる。 三回目は、その文の順番が嫌に久瀬っぽいと思ってしまって、そこでまた少しだけ胸がざわつく。 来たくなかったんじゃない。 言い訳したいんでもない。 まず事実を置いて、謝って、そのあとに本音が来る。 しかもその本音が、“行きたかったです”ではなく“残念でした”なのが、余計に重い。 自分の感情を相手に押しつけすぎない言い方だ。 でも、十分に本音だともわかる。「……そういうとこなんだよなあ」 朝、自席に座ってスマホの画面を見ながら、すばるは小さく

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    文化祭の打ち上げだというのに、最初の乾杯の前から少しだけ欠けている感じがした。 それが誰なのかは、そこにいる四人とも、ちゃんと分かっていた。     ◇ 店は駅前の、よくある学生向けの居酒屋だった。 明るすぎない照明。 木目調のテーブル。 少し狭めの通路。 制服のまま集まった高校生たちの声で、入口のあたりからすでにわちゃわちゃしている。 文化祭が終わった週の金曜夕方。 どのクラスも似たようなものなのだろう。 同じ学校らしい顔が何組もいて、店員が慣れた様子で席へ案内していく。「うわ、思ったよりちゃんと打ち上げっぽい」 鳴海すばるがそう言った時には、もう半分くらいテンションが上がっていた。 こういう場の空気を吸うだけで少し浮かれるタイプだ。「打ち上げっぽいって何」 柊坂真白が呆れたように言う。「打ち上げなんだから打ち上げっぽいでしょ」「いや、なんかもっとファミレスっぽいの想像してた」「それはアンタが安さ重視すぎるだけ」 真白が即座に刺す。「え、でも学生の味方じゃん」「うるさい」 そのやりとりを、日野が笑いながら聞いている。 倉科紬希は席へ座って、配られたメニューを開きながら小さく息をついた。 落ち着かないわけではない。 でも、落ち着いているとも言えない。 四人で同じテーブル。 周囲にはクラスの他の面々。 文化祭が終わったあとの、ちょっとした非日常。 本来なら、もう少し素直に楽しいだけでよかったはずだ。 でも今日は、そこへ一つだけ目に見えない空席がある。「……来ないんだね」 思わず、かなり小さく漏れた。 たぶん誰にも聞こえないつもりだった。「ん?」 しかし、すばるの耳はそういう時だけ妙

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